中央システム株式会社

双騎出陣~SOGA

14日千秋楽を迎えました、源氏兄弟の双騎出陣。友だちのミラクルで観劇することが出来ました。賛否両論ある舞台でしたが、私は良かった…と思いました。むしろ、刀剣乱舞だから、刀ミュだから出来た舞台だったと思います。

SOGAの意味

今回、公私で多忙でサブタイトルを気にしてなかった私…。開演ギリギリに気づいて、まさか…と思ったら、それで。しょっばなから色々ヤラレタな気分でした。
SOGAは曽我。つまり、日本三大敵討ちの一つ、【曽我物語】を題材にしてました。
日本三大敵討ち…一番有名な忠臣蔵すら知らない人もいるこの世…。いや、飲み会で話題にあがった時、20代の若者に「忠臣蔵ってなんですか?」と聞かれてアタマを抱えました。…教養って…。
それはともかく。
第一部のあらすじにもなる、曽我物語とは、こんな話です。

曽我物語

時は平安時代末期。源氏は戦に破れ、嫡男頼朝が伊豆に流罪となっていた時代。その伊豆に河津三郎という武士がいました。妻との間に息子が二人。家庭は円満だったけれど、悩みは一つ…従兄弟である工藤祐経との所領争いが深刻な状況なっていました。
そして、その争いは河津三郎の殺害という、最悪の事件を起こしてしまいます。悲しみにくれる家族。寡婦となった妻はその中でも兄弟を育てるべく、曽我氏と再婚します。しかし、幼い兄弟は実の父を殺された恨みを晴らすべく、日々武芸の鍛錬を怠りませんでした。そんな兄弟を見て、敵討ちによって子供たちの命を落とす事を恐れた母は、弟を箱根の寺へと行かせてしまいます。引き離される兄弟。けれど彼らは敵討ちを果たす約束は忘れず、それぞれの場所で鍛錬に励むのでした。
その頃時代は大きく動き、伊豆の流人だった頼朝は平家を倒し、鎌倉に幕府を開き、武家政権を樹立していました。兄弟の敵である工藤祐経はその頼朝のもとで有力御家人として台頭していました。
弟は青年なり、山を降り、元服して兄のもとに。そして、時は今…と判断した二人は母に永の別れを告げ、世話になった箱根の別当にあいさつに向かいます。二人の決意を察した別当は、義経が戦勝祈願にと奉納した刀を弟に渡します。そしてその刀を持った二人は、富士山の裾野で開かれた頼朝の鷹狩の日、本懐を遂げ、工藤祐経を倒したのでした。

曽我物語と源氏兄弟

この物語の曽我兄弟の化身となったのが、源氏兄弟こと髭切と膝丸。…なるほど。箱根権現に奉納されて、弟がいただいた刀がこの膝丸。別名薄緑。いわゆる昔の主…だったわけです。この理由が分かると、なぜ双騎出陣でこの逸話で、このような形式にしたのか、という理由がすとんと腑に落ちます。
確かに今までの刀ミュは、長曾祢虎徹も和泉守兼定もかつての主に会う…つまり刀剣男士としてその時代に行き、時間遡行軍と戦うというものだったので、まさかその時代を物語るとは…。
だから、従来の刀ミュだと思って見てると、…?となるかもしれません。でも、こんなかたちで時代を物語ることができるんだ、という幅が出来て、面白いと私は思いました。舞台っていろんな表現が出来て、更に深みが出ますから。
また、今回は、花組芝居の加藤和幸さんらをお迎えし、少し歌舞伎っぽい伝統芸能っぽい部分もあり…。加藤さんの素晴らしい所作…シリアスからコミカルまでできる演技の幅…お見事でした。あれを見ただけで、今回生で見れた価値が倍に跳ね上がりました。

第二部

第二部は、いつものショー。ダンサーな源氏兄弟の真骨頂。衣装も豪華。源氏王国と言われるくらい…。髭切さんは相変わらず跳躍高いし、膝丸さんもクルクル動くし…。
なのにいつもの名前ボケも健在。
膝丸「兄者、そろそろ名前は覚えてくれたか?」
髭切「えっと…筥王?」
膝「それは幼名」
髭「五郎」
膝「それは元服した時の名前」
髭「時致」
膝「…それは本名だ」
髭「じゃあすけきy…」
膝「ひざまるだっっ」
…一部の曽我兄弟の弟の名前でここまでボケ倒すとは…。
そして、刀ミュ名物「獣」は…生着替えあざーっす( ゚∀゚)・∵. グハッ!!←まさにこんな感じ。
ダンサーらしく、つきすぎすなさすぎず、均整取れた筋肉に、会場が審神者の悲鳴で揺れました(笑)。
そして、加藤和幸さんの舞踊…バッハのG線上のアリアで見事な舞…。うっとり…したかたったんですがっっ!衣装のデザインが、北条氏の紋…三ッ鱗で、曽我物語と相まって、鎌倉オタクの血をざわつかせてくださいました。

再演決定

千秋楽、発表がありましたね。来年再演決定。ですよねー。期間短い、ハコも小さいで、生で見たくても見られない人が沢山いましたしね。この二振り異常に人気あるし…友だちが色々投げつけてきたから、私、グッズでひと財産できますって感じな位人気が…。だから、その辺が改善していて欲しい…もう一度見たいです。

余談

曽我物語として、今回王道ストーリーだった第一部。実は見ながら頭の中では歴史ヲタク的な思考がグルグルしてました。
曽我兄弟の敵討ちは、色々矛盾や謎が残るのです。
詳しく話をすると、延々と…になってしまうのですが、曽我兄弟は工藤祐経だけでなく頼朝も狙っていた、というもの。兄の祐成は工藤祐経ではなく、頼朝の陣に向かっていったらしいというのです。また、兄はこの時亡くなりますが、弟は工藤祐経を倒した後生きてます。尋問され、結局処刑されますが、名だたる御家人が命乞いをしたとか。
背後にはこの時代の幕府は出来たてホヤホヤで、色々あった、と言うことが。都育ちの頼朝と坂東武者達の考えの違いとか…。特に弟の烏帽子親は北条時政。兄弟には義理の伯父にあたり、頼朝には義理の父…。物語の中では脇役ですが…時政ですからねぇ…。
という話が頭にずっとあって、感動脚本なのに…でした(笑)。

余談その二

今年一月、國學院大學博物館の企画展で膝丸は渋谷に来ていました。生で見る膝丸は見事な太刀でした。この時、曽我物語の資料も展示されてました。偶数とはいえびっくり。
しかし、あまりにも来場者がすごくて、博物館の入口の自動ドアが壊れていたのにはびっくりした記憶が。