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鎌倉うずまき案内所

読後は爽やかだけど、うずまきぐーるぐる。…そんな感じの本に出会いました。

あらすじ

令和元年から六年事に遡り、最後は平成元年で終わる、オムニバス形式の小説です。
各話主人公は違いますが、共通しているのは「悩みを抱えていること」。その悩みは単純なようでいて、決して完全な答えが見つからないような、【このままでいいのか】というようなもの。
一話の青年は雑誌の編集者だが、自分の希望していた場所ではなく、フリーや転職をするべきか悩みます。二話の母親は、自分の分からないような職業につきたいと言い出す息子に、普通に大学に行って欲しいと考えます。三話はプロポーズされた若い女性。何となく一緒にいて、何となく結婚しようとしているが、このまま結婚してもいいのか、と。四話の女子中学生は友達関係に悩みます。一緒にいるけれど気の合わない感じ。だけど関係を止めたらひとりぼっちになってしまうのではないか。五話は売れない劇作家。いつかはきっと、と思っていても、やはり先の見えない現状に焦りを感じている。六話は古書店の店主。昭和もまもなく終わるという時代の狭間と、地上げ屋や万引きなど、身にかかる問題にため息と漠然とした不安が訪れている。
そんな主人公たちはある時、不思議な路地裏に迷い込む。そこには「鎌倉うずまき案内所」という不思議な家がある。中に入ると、老人が二人いた。内巻、外巻と名乗る老人たちは、主人公に問いかける。「まよいましたか」と…。

基本的な展開は一緒の不思議

一話から六話まで、話の展開は同じなのが、この話の特徴で。それがまた、不思議な感じなのですが。
主人公がこれからについて悩む→道に迷ったように鎌倉うずまき案内所にたどり着く→内巻・外巻の二人に「まよいましたか」と指摘される→色々と回想するかのように話す→案内所の所長であるアンモナイトが現れる→かめのぞき色の甕をのぞき込む→甕に沈む所長を見ているうちにヒントを貰う→案内所から出る前にキャンディをもらう→悩みは更に深くなる→キャンディをなめる→不思議な現象が起きる→そのおかげで悩みは解決。これを繰り返しているのです。それはもう、当たり前のように。だから、「鎌倉うずまき案内所」としての主要キャラは内巻・外巻・所長(…人ではないですが)なのですが、彼らは主人公ではなく、主人公の人生に影響を与える人というポジションで、決して主人公にはならない…不思議な感じです。

重なる登場人物

更に、主人公以外の登場人物が、年齢はもちろん違いますが、他の話に出てきたりするのがこの話の特徴です。例えば、一話に主人公と仲の良いフリーライターが出てきますが、彼は四話の主人公の同級生として出てきます。インタビューされる作家は、三話で主人公に影響を与える人物として、そして六話では、作家を目指す若者として登場します。
なぜ、そんな話になるのか…それは、最後の六話まで読んで、ようやく理解できました。わたしはとても納得しました。

うずまきは螺旋

螺旋階段というのがあります。グルグル回るように階段がついているアレです。決して交わらないけれど、視点を変えたら重なるように見える…。表紙のイラストがまさにそれ…。作品のイメージを言葉に現すのは難しいのですが、あのイラストが全てを物語ってるのかな、と…。本番やはり装丁も大事ですね。
また、主人公たちは、悩みをグルグル…それこそうずまきのように悩んでます。ああすればよかったんじゃないか、こうすべきでないのか…。その悩みは特に変わったものではなく、おそらく誰もがなにがしらで考えた事があるような悩み。私も、ああ、そんな事悩んだなぁと思った事がいくつかありました。解決も、自ら考え、きっかけを掴み、前に進んでいってます。ただ、そのきっかけとなるアドバイスが突飛なので、不思議な話になっていますが…。

昭和から平成、そして令和へ

話は遡る形なので、逆なのですが、第一話で平成から令和に変わる話で、お祭りムードな空気を描写してます。主人公は平成生まれなので、上司の話す平成が始まった話にきょとんとしてますが。その昭和から平成に変わる、なんとも言いようのない空気は、第六話であり、ちょっと懐かしかったです。そうだ、早朝から昭和天皇崩御ニュースが飛び込み、元号が変わるのもドタバタしてたのも…。
その他にも、時代を感じさせる言葉が散りばめられていて、タイムスリップした気持ちにも。
例えば、歌。第一話で主人公が聴いてるのが、米津玄師。lemon、良い曲ですよね。第二話では、AKB48の恋するフォーチュンクッキーが。…六年前…になるのか…と思いましたが、第六話で作詞した秋元康が、高井麻巳子と結婚したという話が出てきたり…。そうか、おニャン子クラブの頃でした、ねぇ…。
そんな時代を反映するような空気や言葉も、この本の面白さがあったりします。

鎌倉と言う場所

鎌倉うずまき案内所というだけあって、舞台は鎌倉です。ただ、主人公達が迷い込むばしょは決まっておらず、小町通りだったり由比ヶ浜だったりしますが。必ず鎌倉。多分京都とか横浜だったら、この話の不思議さは半減しちゃいそうな気がします。湘南や小町通りみたいな、若者とか最新トレンドのイメージと、古刹の寺や神社のような時代を感じさせる場所が、ぎゅっと凝縮されたような。京都だって同じじゃないか、と反論されそうですが、案内所の愉快な雰囲気とか、路地に迷い込むような複雑かつ狭い道ばかり…なイメージが京都と違う気がします。京都が舞台なら、多分話はこの六話の話ではなく、もっと別の展開になっていたでしょう。ちょっと読んではみたいな、とおもいますけどね、京都版うずまき案内所(笑)。
鎌倉…久々に行きたいくなります。そうか、一年くらい前に行ったきりですね…。大好きな街なんですが、インバウンド効果で、賑わいすぎて、ちょっと足が遠くなってます…。