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落花流水

先日、作者の山本文緒さんの訃報の報道があり、軽くショックでした。
コバルト出身の直木賞作家さんで、若い頃から読んでいた方でしたので。
この作品は山本さんの作品の中でも有名なお話だったので、購入していたのに…積ん読にしていました。
なので、これを機に読んでみることに…。

あらすじ

主人公の「手毬」の人生を、10年ごとに本人や周りの人々の視点から描いていく、オムニバス形式の長編小説です。
7歳の幼い手毬を隣のハーフの少年が見守っている。手毬の両親が少し年なのが不思議だったが、当時(1967年)は混血であると奇異な目でみられていたのを、この家族は自然と接してくれていたので、気にすることはなかった。
だが、手毬の母が急に亡くなり、葬儀のあと、手毬は家からいなくなってしまった。
それから10年が経ち、その手毬は、以前は”姉”と呼んでいた女性が実は若くして手毬を産んだ実の母だと知り、育ての母が亡くなった後、半ば強引に一緒に住むことに。けれど、男性関係が奔放で生活がだらしない実母に、手毬は嫌気がさしていた。
そんな手毬は、母のようにならないと、27歳で結婚。けれど、37歳の時、幼馴染で初恋のハーフの男性と再会し…

連続ドラマのような人生

さほど厚くはない本ですが、その中で手毬の人生は波乱万丈で…。

10年ごとにある人生の岐路

物語の冒頭、7歳の手毬はわがままだけど、どこにでもいる女性。なのに、その人生は波乱万丈で…。
実母は若くして子供を産んで、けれど、若さと奔放な正確な実母には、子育ては無理と判断した、祖父母が自分たちの子供として育てていたことを知り。
結婚や運命の再会、そして意外な結末を迎えるまで、人生って何年かに一度、岐路にたたされる事を意識したように描いています。
そして、それが特徴的なのがサブタイトルで、タイトルの下に、西暦が書いてあり、その物語が10年ごとにあることを更に意識させています。

波乱万丈すぎるでしょ

小説の主人公に、そんな話を言っても仕方ないんですが…そもそも波乱万丈でないと物語として成立はしないので…生い立ちだけでも1本細かく描くことができるのですが、結婚し、子供産んで、これで普通の人生…と思いきや、初恋の人に再会し、流れで駆け落ちするのですが、その駆け落ちまでの流れが…意外な展開で。
ただ、そこまで一緒になり、子供ができても、別れ、そして、更に別の男性と再婚。
更にその人と死別後、遺産を持って一人暮らしをして…、そして、若年性認知症となり…、実の親や生き別れた娘の顔を忘れてしまう…のような、本当に波乱万丈過ぎてしまう…。
ただ、それは朝ドラのような細腕繫盛記のような展開でなく、どちらかといえば、昼ドラのような要素があります。が、ただ、そこまでドロドロとしたものでないですね。

沢山の視点から見る人生

なぜそこまでドロドロしないのか、それはおそらくオムニバスで、その項目ごとに視点が違うからかもしれません。
ヒロイン・手毬の視点が一番多いのはもちろんですが、そのほかに、初恋の少年からの視線、実母からの視線、実母の再婚でできた義理の弟からの視線、娘の視線がミルフィーユのように挟まれています。
そして、その視線から、彼らが手毬に与えた分岐点、手毬から与えられた分岐点を描いているので、登場人物たちそれぞれに共感することもあり、それがドロドロに見せないのかもしれません。
個人的に、奔放で手毬の人生を翻弄している実母すら憎めなかったですから。

コバルト文庫作家

紙媒体での出版がなくなり、その成分はほぼオレンジ文庫(集英社)に行ってしまった感じですが、コバルト文庫私には青春そのものでした(松任谷由実風…)。
沢山の作家さんを読みました。久美沙織先生とか、倉本由布先生とか。
最近紹介した、エッセイの氷室冴子先生は、その代表格でしょう。

それから藤本ひとみ先生。多分一番読んだ作家さんですかね…。

その中に、山本文緒先生もいました。同じように、コバルトノベル作家で、直木賞作家となられた唯川圭先生とか。
本のオビにあった「きらきら星をあげよう」とか、読んだ記憶が…。
なので、若くして亡くならたと聞き、ショックでした。今年春の「読書大賞」にもノミネートされていましたし…。
今回久々に読ませていただきましたが、淡々と優しい文章に、楽しくするすると読めて…本当に面白かったです。おそらくまだ積ん読内にある、はず…(いい加減減らさなければ)なので、それも含めて色々読んでみようかと思います。
本当に…もっと色んな作品をもっと読みたかったです…。